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日本の食材がさらに入手可能になりました

■793■ 8月31日

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日本食の入手がさらに簡単になりました。新しくミーチョック・プラザにオープンした日本食材店Sun Bridge Foodの品揃えが豊富で、最近ここでの買い物にはまっています。僕がチェンマイに移住した時と違って、最近はデパートや大型SCにも日本食材が多くなってきていますが、今度の店は品揃えが日本人の目線になっており僕の食欲をそそります。

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店には冷凍ケースがたくさん並べられ、食欲をそそる品が冷凍保存されています。高級和牛などもありますが、サンマやマイワシ、ししゃもなど気取らない魚が好きです。中でも僕が大喜びなのは「豆腐」が入手可能になったことです。この豆腐はバンコクの日本食専門スーパー「フジスーパー」にも売っていた「卯の花」製です。ここの絹、木綿、ざる、カゴ豆腐は僕がバンコクに単身赴任していた時、よく食べていた豆腐です。チェンマイの地元のスーパーにも豆腐は売っていますが、なにせ密封パックで、賞味期限が1ヶ月という豆腐はちょっと信用がおけません。それでも寒い時期はこの豆腐を使って鍋など楽しんでいましたが、いまいち雰囲気がでない感じがします。「卯の花」の豆腐は嬉しいことに冷奴で食べることができます。一年中暑いチェンマイでは何よりの美食ですバンコク製造、週3回空輸されており、賞味期限3日という本格派です。

どうも僕が赴任する場所は、最初のうちは日本食材に乏しい都市ばかりでした。と、いうよりまだ日本から外食産業や食材業者があまり目をつけていなかった時代です。1976年バンコクが僕の海外駐在の始めでしたが、その頃のバンコクはやはり日本食材を探すのに苦労をしました。大丸がありましたが、規模が小さく食品売り場はなかったと記憶しています。ビラスーパーという現在でも存在する地場の老舗スーパーにほそぼそと日本の調味料が置いてある程度でした。


1978年の香港も同じような状態でした。ハッピーバレーの坂の途中に「ヤマト」という日本食材を扱う小規模な店がありましたが、品揃えは限られていました。旧大丸が銅羅湾にありましたが、食品売り場は貧弱で、ここで買った小さく縮んだ塩じゃけの辛さは今でも覚えています。


でもそのうち香港は日系デパート進出ラッシュになって、あっという間に日本食材が溢れる街に変身しました。甘ったるい食パンしかなかった香港に、日本のパンが普及するのはあっという間で、それが地元のパンに大変革を起こし、菓子パンという新しいジャンルが定着しました。有名デパートが全てでそろった時期の香港は、日本食材で溢れかえっていました。シティースーパーに出店していた「博多屋」の豆腐は、我が家の食卓の定番でした。あんなに日本色溢れる街香港から日系デパートの姿が消え、1997年に中国に返還された以後の香港の状況が急変した2018年夏は、将来に不安を募らせる事態になり、大きくその様子を変えました。

豆腐で忘れられないのはサンフランシスコのスーパーで売られていた「サンノゼ豆腐」。大型の豆腐で本格的な味を誇っていて、忘れられない豆腐です。アメリカ人の自然食ブームに乗って「豆腐ステーキ」なるものが定着しました。バンコク時代は「卯の花」、日本時代は嵯峨豆腐「森嘉」、亀戸の「太田」豆腐などが生涯忘れない「豆腐」の味です。


by newsaki | 2019-08-31 11:35 | 2019